川崎で悲惨な事件が起こりました。
このような、凶悪で、悲惨な時間が起こるたびに、事件の犯人は、
「誰でもいいから殺したかった」と供述することが多いとテレビで報道されていました。
選択理論的に翻訳すれば、きっと、
「誰でもいいから、愛してほしかった」
「誰でもいいから、認めてほしかった」
ということかもしれません。
誰からも、愛されていない、認められていない・・・と感じながら
苦しい日々を送っていると、人は欲求を満たさずにはいられない存在なので
不健全な方法でも満たそうとするという、選択理論の考えは
私たちに、納得と行動を促すと思います。
もし、だれかが、彼に対し成長の過程で
愛を口にできたら、もし、認める言葉を口にできたら
問題を起こす彼を、「本当に苦しんでいる人」「孤独に耐えている人」として大切に向かい合えたら・・・
選択理論を知っている教師が増えれば、学校は、そんな場所になると想像します。
でも、常識として、問題行動のある生徒は、学校でも、家庭でも厳しく指導されます。
「悪い子を、悪いと言って、何が悪い!」という声が聞こえてきそうです。
それは世間の常識かもしれません。が、常識では、解決できないのも事実で、
選択理論が広がることを、心から願います。
グラッサー博士も、「選択理論」の中で、地域で孤独な人を作らないことの
大切さを説いています。選択理論が広がったら、きっと、お互いを認め合う
温かい言動、温かい社会になっていくと思います。
私に何ができるか考えてみたいと思います。
最近、若者で生きづらさを感じている方からのご相談が多く
その方たちが選択理論を学べるグループを模索中です。